そういえば、大きな鉄塔が建っていた。そして その周囲には有名な企業の工場があり、
まだ、その企業の工場が、高い塀に覆われてない頃、
その工場の一部から、もの凄い蒸気とともに実に不思議な「匂い」がしていた事を
書いている今 思い出した。そこの一角を自転車で通る時は
私は必ず手前2秒から息を止め、トータル6秒ほど無呼吸でいた。小学生・中学生の頃の話。
”とにかく自転車必死に漕いで一瞬で通り過ぎ去りたい!!!”
それくらい、何とも例えようもない匂いなんだけど、
あれは本当に 何だったのだろう。(セシル、覚えてる?)
鉄塔は本当に大きく、小さな頃は 行った事もない「東京タワー」というものは
”こんな感じなのかな?”って 想像していた。
あと、この鉄塔が南北に延びるその真下は 「グリーンベルト(緑地帯)」と
呼ばれていて、春には早咲きのピンク色の桜が一足早く咲き、
通学路でありながら、季節の時は 周囲に路駐の車両がポツポツと
現れ、住宅街にひっそりある ちょっとした桜の名所になっていた。
それと合わせて目の前には 本当に小さな公園だけど、遊具があって
私はそこにあるブロックを飛び越えて遊んだり、回転する円形の遊具があり、
よくそれを回して飛び乗って遊んでいた。回転させると独特の音を発する。
しかしその遊具やブロックは、劣化が進んだからなのか、それとも
音がうるさかったのか、十何年も前には 撤去されてしまっていた。
でも公園内にはたくさんの樹木や季節になると
毎年咲く花もたくさんあり、父は本当にここを気に入っていた。
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季節はいくつも過ぎ去り、周囲には いつのまにか小奇麗な家が
たくさん立ち並び、しかし、一つ中の通りに入ってみると、
私が小さな頃からずっとある小さな借家が立ち並ぶ風景など
まだまだ懐かしいものは たくさんある。結構変わった部分もあるけれど、
そんな全然変わらない家屋も 全然「ある」のだ。
「あの借家には 何か学校一緒だった人が住んでいた」「一瞬遊んだ事あるかな?」
「あの家は そういえば私と”同じ色・同じ車種”が置いてあった!」
「私と同じ広告を見て購入したのかな?どんな人かな?」
=車を近所の道路で見かけた事があるけど
すれ違いは緊張する(←なんかあるよね、同じ車種だと 笑)
しかし どんな人が乗ってたのかは結局分からずじまいだった。
「学生の頃、家の近くで放火があって、この場所 消防車たくさん来てた」
「そう!そういえば 私の家の隣には 赤茶色い借家が並んでいて、
何と 私のうちの隣にあった借家に住んでた人・・・
が 放火で捕まった・・・(放火魔だった)」
「父が、(ウチ)が被害に遭わなくて本当によかった…」
なんて言ってたっけ。
※お父さん、ちょっと音楽のボリューム大きい?から…
もしそういう音が漏れてたとしたら・・・危なかった…。
公園北側の個人店も放火の被害に遭い、何と被害は二回もあり、
二回目は その個人店の車が 放火の被害に遭った。
その頃、まだ私の車は真新しかったので、そのニュースは震えたのを覚えている。
書いていると、本当に色んな事が 溢れ出す。
よくよく思い返してみると、えくんちょの家ほど
何度も塀をぶっ壊される歴史を繰り返すのも珍しい、と思う。
それでも、お父さんは ここが 大好きだったのだ。
私のうちの隣に広がっていた赤茶色の借家エリアは 十何年前になくなり、
いつのまにか、私の家に隣接して二階建ての洒落たアパートが建った。
家の東側に隣接して建築されたので、朝方の東の日差しは庭に入る事は
突然無くなった。でも東側の小さな和室の窓には、
アップライトピアノが置いてあった為、室内の明かりの量は それほど変化がなかった。
でも、目の前は 別のアパートの駐車場であった為、日中はずっとずっと
日差しが降り注ぎ、本当にこの場所に決めて良かったのだと、父は自慢げに言っていた。
リビング内部にも陽の光が入ってきて、冬は ぽかぽかと暖かく、
父 病気から足を悪くしてからの晩年には、この窓の前に、
ガス昇降式の安いPC椅子が置いてあり、日向ぼっこを楽しんでる様子が伺えた。
夏は窓を開けっぱなしにして、扇風機全開。
天井からのカーテンが 揺れていた。
暑い位だった。何故かリビングにはエアコンがなく
父は窓を開けっぱなしにしていた。網戸はもちろんあったけど、
いつの頃からか、網戸の網は 太陽光による劣化で無くなっていた。
あ、でも ここに引っ越してきた時は アパートなんて無くて、
目の前が駐車場になるなんて予想もしてなかった。でも駐車場だった為に、
家の前は ずっとずっと遮る建物が建つ事はなくって、
父はずっとずっと大好きな庭いじりをする事が出来たのだ。
緑色の支柱を上手に組んで、立派な朝顔を育てていた。
でも日差しと引き換えに、目の前を出入りする車両に、大切な塀やフェンスを
引っかけられるんだ。私も住んでた頃は 毎回車両の出入りを「感じる」度に、
リビングのレースカーテン越しに「大丈夫かな?」と
いつもいつも気にしていたのを思い出す。豊かな日差しと引き換えの毎日毎日不安とリスク。
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何年か経ち、4軒だった分譲住宅は 間の土地に2軒建ち、6軒に変わっていた。
それは私が中学の頃だったと思う。私の家の北側の塀と道路側の南側の家の塀を
”利用”した感じで、真ん中に家が建った。
そしてさらに時が経ち、他の家は 普通に残っているのに、
まだ築二十数年だったのに、まだまだ「住めた」のに
私の家だけ

無くなった。
私が決めた事だったけど、解体が終了して、数ヶ月してやっとここを訪れた時は
その景色に
ただただ、驚いた。
解体の理由は、もう私が東京に住んでいた事と、父 家の至る所に樹木を
植えちゃってて、東側や北側(あとから分譲された家の目の前)にも それらがあって、
とくに東側は塀とフェンスで囲われた狭い部分に樹木があり、それが根を張って、
ブロッグ塀を押し上げるほどに成長していて(後ろの家の人の指摘で気が付く)、
父が亡くなり、でもまだ家があった頃、家の整理をしていたら、初めて話しかけられ、
北側の木の事とか、東側のブロック塀の部分を「見てみて!!」と言われ、
父 元気な頃から「こういう事を放置」しちゃってて、周囲に迷惑をかけていたんだな、と
思ったし、もう私は「住んでもいない」ので管理できないと思ったから。
なので、「実は解体を考えてるんですよ。」と言ったら、
「ええ!?それは勿体ないよ!!!」と (迷惑を掛けてた家の方)に
そう言われるほどだった。
もちろん、どれほどの費用が掛かるか分からないが、その樹木を専門の業者に頼んで
撤去してもらうなどの方法があったとは思うのだけど、家を残したとして、
使ってない家財を残したとして、
それは問題の先送りにしかならないって
強く思ったんです。ちょっとドライな表現になっちゃうかもしれないけど、
「直後」は 何でもかんでも「大切なモノ」となってしまいがちですが、
実際 「とっておけるモノ」は 本当に”ほんの一部” です。
私が実際に今現在もとっておけたモノは、
数百枚のレコード、レーザーディスク(おもに映画・カラオケ)、一部の音響機器、
ビデオデッキ、今 この日記を書いているPC、クラビノーバ(ヤマハの電子ピアノ)、
父が出張で買ってきたお気に入りの少しの飾りの類。ビクター犬の置物。古い一眼レフ数台。
あとアクオスのテレビかな。私もマネして買っちゃってたから今アクオスは2台ある!
あと、自慢のサボテンは危険で持ってこれなかったので、枯れかけだけど素焼きの鉢類。
あと使ってない箱に入ったままの皿とか、どんぶり類の一部、そんなもんです。
その他は ぜ~んぶ処分になってしまいます。仕方ない。
直後は 全然気持ち的に整理がつくはずもないので、
ガスも電気も水道も誰も住んでないのに払ってて、しばらくして、ガスだけ止めて、
※ガス会社から故障の原因になるので、電気は止めてはいけないと言われてた
だけど、庭は「人が住んでないととんでもない事になる!」って
夏に整理に行った時に痛感したし、とにかく家の処分はレアケースだとしても、
これ 誰にでも絶対に起こる事なので 普段から考えておくとよいと思います。
ちょっと「大きく」想像を膨らませるとすると、
自分がもし・・・
って事も いずれ もしくは 突然 そういう事もあるので考えておいたほうがいいです。
自分が今囲まれてるモノは いずれは他の人にとっては・・・・ほとんど・・・ です。
私が 最近 「昔の事」を結構書き留めているのは・・・・
不吉?(笑)
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2018年3月4日 まだ豪雪残る新潟の温泉宿をチェックアウトしたその後、
こ~んな「何にもない」のを分かってて でも「是非行きたい!」と
言ってくれた主人…。この時は、さっき載せた画像の通り、
「綺麗な土地」と想像していたので、まさかの一部2mに迫る

草ボーボー状態には
主人と二人で やはり しばし「フーリズ」してたわけです。
※まだ綺麗な土地の画像は解体後数ヶ月(2017年の春頃)の画像です。
この時、主人が「ここを見に行きたい」って言わなければ、私はいつもの
「リサイクルショップ巡り」を予定してたのですが、
この場所をしばし見た後、主人が、
「周辺を歩いてみようよ!」と 言ってくれたのです

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あんまり意識してなかったけど、鉄塔 凄く大きい!!
今思い出したけど、引っ越してきた当初はこんなに整備されてなかったかも。
でもここが私の通学路で、この先のどこかに集まっての集団登校でした!
ああ、また思い出した…
私の学校・・・何と徒歩なのにヘルメット通学でした・・・真夏でも毎日!!
おばあちゃんが、「そんな鉄兜(テツカブト)被って可哀想に…」って言ってた!!
それは私が小学二年生の時にあった「交通事故」で そういう事になりました。
私は その事故の直後の全てを目撃してしまいました。慌てて父を呼んだのを覚えてます。
※その時は 最初に引っ越してきた〇〇さんちの借家に住んでました。
周囲の学校は 当然ヘルメット通学ではないので、かなり変わった光景だったと思う。
それ、たしか十何年以上 私の小学校だけ そういう事になってたかも!?
ここは今は飲食店(評判の良いラーメン屋さん)になってますが、
以前は「前橋書店」という本屋さんでした。建物は当時白かったです。
ここで小学生の私は 今 全然漫画なんか読まないのに、
少女向けの漫画雑誌を多い時で4冊ほど購入していて、
学年雑誌も買っていたので、月2000円ほど使ってたかも!?
覚えてるのは「りぼん」「ぴょんぴょん」(? 笑)
「花とゆめ」(????)あ、「なかよし」(ヤバ!激しく懐~

笑)
パンクポンクっていうウサギのギャグ漫画とか、きんぎょ注意報(!?)
当時ちょうど連載が始まった「ちびまる子ちゃん」を楽しみにしてた位で、
あとの漫画は読んでたけど、全然覚えてなくって、
多分 いや「付録」をハンパなく楽しみにしてた自分を思い出します!
付録、全員プレゼント 本当に大好きだった・・・
夏は冷房がとてもよく効いてる本屋さんで、そこの”ぽたぽた焼きソックリ”のおばあちゃんが
とても優しくて、毎月 おまけで 他の漫画雑誌の女の子向けの付録を
少しずつサービスしてくれてたのを思い出します!
お父さんが出張先で何か買ってきたのをおばあちゃんに渡したり、
いつもそんな感じでよく本屋さんに出向いてたんだけど、
いつの頃からか、節約しなくちゃ(?)とか ヤメなくちゃ・・・と
思ってきたりして、漫画雑誌の購入は 歯ぁくいしばって我慢我慢でヤメていき、
学年雑誌だけ、高校2年位まで買ってたかな!あ、CHA-CHAの大ファンだったから、
チャチャ載ってる「明星」とか重なってる月は
財布シベリア⛄
(←懐っ 爆)
あ、あと「
高橋良明」が大好きだった

(懐かし杉る


)
だから事故ショックだった…※あ、やばいまた思い出した、この時 たしかNHKの大河出てなかったけ!?…
あとね、
学年雑誌で「高1・〇〇(←名前)」とか何か雑誌のとあるテーマに対する
意見みたいのが載ってる事あるでしょ、確か高1位に 雑誌のページを作るための
アンケートに公式で協力してたので、たま~に私の答えたのが載ってた!(謝礼有り)
今 書いてて思い出してきたのは、靴に関するアンケートで
私、靴なんか「知らない」ので(笑)、
「どんな靴がいいか?」っていう問に対して、
「綺麗な靴がいい。汚れているのとかは無しで」(?)みたいな
苦し紛れで回答したそれが、そのまんま載ってた(爆)
他の人は「ローファーがいい!」って書いてあって、
初めて、「あ、靴の種類の事ね!」って分かったし(笑)、
でも「ローファー」って何?って その後何年も思ってた・・・(爆)
あ、学年雑誌をとくに中学、高1位までずっと購入してた理由は、
その地域の教科書に準拠して作った問題部分と、
その解答が載っている付録が定期的にあり、これを思いっきり勉強すると、
定期テストで かなり高得点が取れるんです!!今でもあるのかな?(ないかな)
あと、懸賞とかあったよね。あとラストの方、読者ページとか!
何か似顔絵かいたら載ってたり、懸賞に名前が載ってたりした時は嬉しかったな!
※おおやべえ!思い出
溢れ杉
(爆)
だけど・・・その書店のおばあちゃんね、この近くの交差点で
車を運転中、自損事故で 亡くなられたんだよね。
すっごいショックだった。
確かね、その時、「TRF」がトライオアクライって曲を
出してる頃だったの。その曲を聴くと この事を思い出すよ。
その後、本屋さんに行ったんだけど、男性の方がお店にいて、
お店、閉める みたいな話をされていたんだっけな。本当にショックな出来事でした。
・・・・・
ほんと、色んな事を思いだすけれど、通学路の雰囲気は
一部を除いて、ほぼそのまんま残ってる箇所 多いかも!
ここの交差点のガソリンスタンドの「ガソリン」っていう表示を見る度に、
先日、書いた「ガリクソン」投手で頭がいっぱいになってたの…(笑)
それはおいといて、ここ 今でも朝方 各所で見られるPTAの旗振り当番?の
場所になってて、たま~にうちの「お父さん」の順番の時、
何か自分のお父さんなのに何故か「通る」のが 恥ずかしかったな~

懐~

多分「雪絵!!」と一声あったかなかったか忘れけど(多分あった 笑)、
お父さん、人混みとかで平気で大声で「雪絵!!」とか「雪絵ーー!」って
言っちゃうんだよ

(笑)私にとって これは上空のハトの
ユッキエコゾー攻撃
よりもアヒー

(爆)
ここは、もしかしたら昔、舗装してなかったかも!?今はさすがに なかなかないけど、
周辺はアスファルトなのに、どういうわけか一部区間だけ未舗装みたいな道路、
あったような気がします。それがまさにここだと思う(そんな気がする)
右側は広い砂利の駐車場みたいだけど、昔は 「貸家(かしや)」
(借りる人にとっては借家)がもっとたくさん並んでいたように思います。
この道路の奥が「関越自動車道」なんだけど、何か小さな時の記憶を思い出すと、
この付近のどこかから先が 当時まだ建設中で「無く」て、すっぱり切れてたのを思い出すよ。
で、近所の公園付近に

戻ってきましたー!
あ、前半にブロック撤去されたって書いたけど、足下の遊具は残ってました!
※東屋の近く、ブランコ前にある足元のアレ
何か平均台みたいに細い変わったカタチのブロッグは撤去されたんだ。
このちょうど主人が立ってるあたりに回転する遊具があったんだよ!
とりあえず、私が当時遊んでいたブロックに~
で、緑地帯に戻って、
早咲きの桜です!3月4日でこんな感じ♪ あとこれ、主人のカメラで私が撮ったぁ

📷

本当に天気が良くて
清々しい
(
間違いもノビシロですねー! 爆)これはおまけ~♪
3月下旬に手放した・・・・
えくんちょの愛車です!とにかくこの「テールランプ」のデザインが
大好きで、当時新しいのが出てたけど、わざと1コ前のにしました!
以前も書いたけど、隣の長野県から買い付けたものです!!
実は細部にわたって・・・全編・・・
これも・・・んがっ(笑)
これ「ケティ」って言っちゃうアナタは修業が足りません

(何で~? 笑)
とりあえず、これもケティじゃないです・・・(??)
このツブツブのケティおよびケティじゃないやつ(笑)は、
3万円ほどで自分で加工しました♪ 100均のツブツブじゃなくて、
車用のホンモノのクリスタルガラスです



あと最後なんだから
細部に渡り、写してくればよかったのですが、
後ろのテールの赤い反射板もケティ、車のホイールもケティ、
ナンバープレートの前も後ろもケティ(笑)多分「前」ってのは
たくさんあるんだけど、後ろは「封印」があるので、普通のタイミングじゃ出来ない!
※群馬ナンバーから都内のナンバーに入れ替えるその手続きの時に 自ら
群馬ナンバーの封印を破って(笑)、しれっと新ナンバーにケティの枠を取り付けて
そこの検査場の人に再封印してもらいました
(用意周到 爆) あと、マフラー(排気を出す筒みたいなの)も ケティ!
これは本当にどこにいっても「驚かれる」ものでした(写真残せばよかった

)
内部のカーテンを結んでいるのも全部ケティ。足元のビニールのマットは
何故か「チャーミーケティ」(爆)


フレグランスもケティ♪
ドリンクホルダーもケティの顔面

(笑)ハンドルは何故か
ナイトメアビフォアクリスマスのジャック

(笑)ドアロックもジャック!!
運転席のバイザーにつけてたカードホルダーは
何故かディズニーの「マリー」ちゃん(メパンナちゃん→


)
とにかく、以前何度か書いたけど、私の車が通りかかると、小さな女の子は
凄く喜ぶし、駐車していると、とくにおばちゃんたちが何故か集まっていて、
クリスタルガラスの部分を触っていたりするのです✋✋(爆)
但し・・・2005年秋の購入の時から こういう改造を施しちゃってたので
時が経つにつれ、
趣向も変わっていくので
(爆)、
車検の時とか、回を重ねる毎に 若干恥ずかしかったりして(アヒー 笑)、
最後の車業者さんの査定の時には 車の至る所、全部オールケティなので
業者の方に「お好きなんですね・・・

」と
いたく感動された

💦(爆)
あ、この中で唯一残っているケティの痕跡は
只今、えくんちょの レーゾー子さんの側面に・・・

(笑)
そう、愛車から持ち出せたものは、
シガーソケットを3つに分けるアレとインバーター、
そして想い出の品として たった一つ、テールゲートに貼り付けてた
この
リボンのマグネットステッカーだけ

あ、あともう使わないかもしれないけど、
ナイトメアビフォアクリスマスのバックミラーかな!
続く~